蛍ヶ宮の大かつら


伝説によると、西暦約500年頃、第24代仁賢(にんけん)天皇の皇子賢策(けんさく)太子は、兄である第25代武烈(ぶれつ)天皇によって、この地に流されました。幼かった太子は亡くなり、村人が蛍を奉じたことから、この太子を祀って建てた宮殿を蛍ヶ宮と呼びました。大かつらはその宮殿のあった場所に立っています。蛍ヶ宮の大かつらは、その木そのものがご神体で「神あおい」とも呼ばれます。昔はこの木の根元に石の祠もあったのですが、いつの間にか幹の中に包み込まれてしまったと言います。

高さは約30m、根回り10mの巨木で、以前は、この木に根回り2mと1mの藤が2本巻き付き、そのうえ、幹回り1mのケヤキも斜上して、独特の景観をつくっていましたが、ご神体の大かつらが弱ってきていたので、近年切り除かれました。以前と比べるとずいぶんすっきりとした姿になりましたが、さすがにご神木、その前に立ち手を合わせると、気持ちがすーっとしてパワーを受け取ること間違いなし。(担当した筆者の個人的感想ですが…)

 藤やケヤキがあった頃(2011年)


足元が悪い場所もあります。
現地に行かれる際は、十分にご注意ください。