(樫津区)
樫津と広野の境に山があります。昔、北条時宗がこの山に城を築いたことから、城山と呼ばれていました。織田信長が朝倉攻めをしていた頃には、この山に見晴らし台があり、狼煙をあげる等連絡の要所であったとも言われています。いつしか城山の文字が上山に変わり、上山(うえやま)と呼ばれるようになりました。大正13年、この山に観音堂を建立したのが、樫津の田中又左衛門です。信仰していた京都の某寺院の子安観音を譲り受け、ここに安置しました。参道にある33体の地蔵は、西国三十三カ所巡礼に因んで、村人の寄進によってたてられたものです。また参道の上り口には、子安観音の石碑と六地蔵がたっています。
足元が悪い場所もあります。
現地に行かれる際は、十分にご注意ください。